2010年2月17日水曜日

開発者:早熟の天才プログラマ、ブラム・コーヘン

早熟の天才プログラマ、ブラム・コーヘン
BitTorrent、立ち上がる商業P2Pネットワーク(前編)

 「5才のとき、父親が持っていたTIMEXシンクレアというマシンでBASICを覚え、その後はコモドール64でプロモというC言語の簡易版のような処理系で簡単なゲームを作ったりしてたね」。独自のP2Pプロトコルを設計し、1人でクライアント実装を行ったBitTorrentの創始者、ブラム・コーヘン(Bram Cohen)は、典型的な早熟のプログラマだ。子どものときに作った四目並べのプログラムには自分でも勝てなかったという。

 学校に上がると、自分のマシンのテキストVRAMに何を書き込むとクラッシュするかを調べたり、アセンブラコード同士をパソコンの仮想空間上で戦わせる「コードウォー」にのめり込んだ。アーキテクチャの異なるパソコン同士であっても動作原理は同じなのだということを友人に教えようとして、当惑させたりもした。

 17才のときにはベル研究所のインターンとして「充足可能性問題」と呼ばれる数理的な問題に取り組み、「WalkSat」と呼ばれる確率的な統計処理アプローチを考案。論文を共同執筆して、その才能を発揮した。

大学をドロップアウト、バイト先も即クビ

BitTorrentのプロトコルおよびソフトウェアの創始者で米BitTorrent共同創業者のブラム・コーヘン(Bram Cohen)氏。現在は同社のチーフ・サイエンティスト
 「もし大学に残っていたらコンピュータサイエンスを専攻してたかな」。ニューヨークの進学校からバッファロー大学に進んだコーヘンは、初年度の成績が悪かったために専攻を決める前に早々に大学をドロップアウトした。「大学のクラスの進め方が耐えがたかった。プログラミングの仕方をろくに知りもしないTA(助手)が、まったく意味のない時代遅れの課題を出したりね。ともかくつまらなかったよ」。

 コーヘンは独学でアルゴリズム関連の書籍を読みふけり、コンピュータサイエンスの大御所ドナルド・クヌース博士が書いた大著を「シンプルで分かりやすかったね」と涼しい顔で評する。

 コンピュータのことや大学教育への失望を口にするときの彼はきわめて早口で興奮気味だ。ときどき1人で短くクククと笑う。

 自分の得意なことに答えるコーヘンは饒舌だ。早口なうえに内容が専門的で詳細にわたる。聞き取れないほど情報があふれ出してくる。こちらが理解できるレベルであるのか、興味を示す内容であるのかといったことは意に介さないようだ。逆に、自分が興味のない話題を振られると口数が少なくなる。今や全世界で1億5000万人がダウンロードしたというP2Pソフトウェアの創始者にしては、ライバルのP2Pソフトについても、あまり多くを語らない。

 コーヘンは自分のことを「アスペルガー症候群」だと自己診断していた時期がある。自閉症患者と健常者との境界上に存在すると言われる発達障害の1種だ。他者の心理を推測する「心の理論」が未発達で、対人コミュニケーション能力や社会的適応能力が健常者に劣るといわれる。相手の表情や態度から健常者が自然に読み取る他者の心理状態の変化が、アスペルガー症候群の人々には分からない。

 大学をドロップアウトした後に始めたキンコーズでのアルバイトも、すぐに解雇された。「態度が悪い、指示に従わないという理由でね」とコーヘンは笑う。インタビューする初対面の記者の前で、靴を脱ぎ捨ててテーブルに足を載せたりする様は、見ようによっては磊落なアメリカ人という風だが、少し異様な印象も与える。

 アスペルガー症候群の人々は知的障害のない自閉症者とも言われ、知的能力が高い人も多い。対人関係に興味が薄い代わりに、1つのことに没頭するときにきわめて高い集中力を発揮し、天才的な仕事をする場合があるという。コーヘンの場合、没頭の対象はパズルや趣味の数学であり、コンピュータやP2Pネットワークだった。

ドットコムバブルを経て、自力でP2Pに取り組む

 1997年、コーヘンは生まれ育ったニューヨークを離れてサンフランシスコに移住する。22才のときのことだ。

 いくつかのベンチャー企業でドットコムバブルを経験した。彼が最後に勤めた「Evil Geniuses for a Better Tomorrow」(よりよい明日を目指す邪悪な天才たち)という思わせぶりな名前のベンチャー企業は、独自のP2Pプロトコルをベースとした情報コンテンツの流通プラットフォーム「MojoNation」を構想していた。MoJoNationはロードバランスの仕組みをピア間の“仮想貨幣”の流通で解決するという野心的なアーキテクチャを持つなど注目されたが、資金繰りが悪化。ビジネスとしては志半ばで頓挫した。

 コーヘンは、どこの組織にも属さず自分1人で新たなP2Pプロトコルを設計・実装することを決心する。「従来のP2Pはネットワークの使い方には無駄が多く、ピアの信頼性も低かった」という思いが強かったという。

BitTorrentの名を知らしめたRed Hat Linux 9

 2001年。サンフランシスコで1人暮らしをしていたコーヘンは、1人でプログラミングに没頭する。BitTorrentの実装を始めたその当時、コーヘンには蓄えがあったわけでも、現在のようにBitTorrentが成長してビジネス用途の利用が始まるという確たる成算があったわけではないという。

 それでもあまたあるP2Pソフト/サービスの中で、BitTorrentは最も成功したP2Pソフトウェアとなった。彼が持っていた類い希な才能と、2つの信念がBitTorrentの成功の鍵となったようだ。自分は誰よりも効率的でロバストなP2Pプロトコルを設計できるという絶対の信念と、P2Pは海賊行為のために設計するものではないという信念だ。

 2001年にプロトタイプが完成。2002年にはP2Pプロトコルをファイナライズ。2003年には十分な完成度となったクライアントが動いた。

 2003年4月、BitTorrentのP2Pネットワークの実用性を関係者に知らしめるできごとが起こった。当時、リリースされたばかりのソフトウェアをダウンロードするには負荷が集中すると遅くなるWebサーバにアクセスする必要があった。ところが、ちょうど人気の高まっていたRed Hat Linux 9がリリースされたとき、そのISOイメージをBitTorrentにアップロードしたドイツ人学生がいたのだ。彼の所有していた平凡なサーバに置かれたファイルはBitTorrentのP2Pネットワークを介して広まり、3日間のうちに3万個分のISOイメージが配布された。オリジナルのファイルを提供したサーバは最大でも150kbpsの帯域しか消費しなかったという。1.3GHzのCeleronサーバのワークロードは5~10%とCPU負荷も無視できるほど。一方、ピーク時のP2Pネットワークの帯域は1.4Gbpsにも達したという。平凡な1台のサーバから3日間で17TB分のデータを送出した計算だ。

 コーヘンが設計したP2Pネットワークの有用性が、誰の目にも分かる形で、フィールドテストによって証明された格好だ。


やり手ビジネスマン、ナヴィンがビジネス化
★BitTorrent、立ち上がる商業P2Pネットワーク(後編)


 BitTorrentプロトコルはオープンなもので、さまざま人々やベンダによって異なるプラットフォーム向けに実装されている。中央管理サーバである「トラッカー」と呼ばれるWebサイトも、コーヘンや、企業としてのBitTorrent社の思惑とは無関係に立ち上がり、そのうち一部が海賊版コンテンツを大量に配布するようになった。全米のインターネットトラフィックの40%がBitTorrentによるものだという調査もある。P2Pコンテンツのトラフィックを制限するISPも多く、制限の妥当性を巡って議論も起こっている。いずれにしても、現在やり取りされているコンテンツが、ライセンス上問題のないコンテンツだけで占められるということはないだろう。

名前にそのものずばり「海賊」とある世界最大のBitTorrentトラッカーサイト「The Parate Bay」。同ページによればスウェーデンの反著作権団体によって2003年に作られ、2004年10月より個人により運営が続けられている。会員登録すれば誰でもファイルをアップロード・共有でき、現在でも多くの違法コンテンツが流通しているとされる。BitTorrentプロトコルを用いているが、BitTorrent社は「われわれとは何の関係もない」としている
 米国の音楽レーベル企業による業界団体「RIAA」(Recording Industry Association of America)や、映画関連の業界団体「MPAA」(Motion Picture Association of America)は海賊版コンテンツを流通させるトラッカーサイトに対して、多くの訴訟を起こした。Supernova.orgやTorrentSpy、LokiTorrentなど、いくつものトラッカーサイトが閉鎖に追い込まれた。Winnyと異なり、基本的にメタ情報を管理・配信するトラッカーサイトが存在するBitTorrentネットワークでは、違法コンテンツの配布元を抑えるのは容易だ。ピアには匿名性もない。

 日本でWinMXやWinnyがそうであったように、欧米でも「P2P=海賊行為」というダークな印象が先行していたのは確かだが、ほかのP2Pソフトと異なり、BitTorrentはビジネス界から熱い注目を集めるようになる。

やり手ビジネスマンがBitTorrentをビジネス化

 2004年のBitTorrent社創業時に共同創業者として加わった米ヤフー出身のアシュウィン・ナヴィン(Ashwin Navin)がビジネス戦略面での良きパートナーとなった。ナヴィンは2005年にハリウッドへ向かい、映画やテレビの制作会社と契約を取り付けた。ベンチャーキャピタリストから総額3500万ドル(約40億円)を調達することにも成功する。一部の隙もなくスーツを着こなし、自信に満ちた口調で滔々(とうとう)とビジネスモデルを開陳するナヴィンは、コーヘンとは好対照だ。ナヴィンは、ヤフーで企業戦略やM&Aを担当する以前は、ゴールドマン・サックスやメリル・リンチの投資担当アナリストとしてウォールストリートを闊歩していたエリートビジネスマンだ。

 ナヴィンはシリコンバレーのあるアントレプレナーの言葉だが、と前置きして言う。「成功というのは、不可避にやってくる未来を、誰に目にも自明になる前につかむことだ。BitTorrentは、まさにそうした技術だ」。

BitTorrent共同創業者のアシュウィン・ナヴィン氏(東京都内で行われた同社カンファレンスで撮影)。現在同社プレジデントを務める
 風変わりな天才肌の発明家と優秀なビジネスマン。この2人の出会いがBitTorrent社のビジネスを軌道に乗せつつある。10月17日にはBitTorrentはさらに新たなCEOを迎えて陣容を固めたが、コーヘンは「ようやくCEOから卒業して、自分の得意なプロトコル設計に専念できる」と話している。

 ナヴィンは、BitTorretを商業的に成功させるビジネスモデルを2つ考え出した。

 1つは、Webブラウザベースで動画や音楽、ゲームなどのコンテンツをダウンロード購入、もしくは無償視聴できるWebサイトの運営だ。2007年2月に立ち上げた「BitTorrent Entertainment Network」には、20th Century Fox、Comedy Central、MTV、Paramount、Warner Brothersなどを含む40社が立ち上げ時点で参加し、9月末日時点で55社のメディア企業が、約1万タイトルの映画やテレビ番組を提供している。日系企業では角川ホールディングス傘下の角川ピクチャーズUSAが約60本の新旧の映画コンテンツを提供している。コンテンツにはDRM(デジタル著作権保護)が施されており、ダウンロード購入のほかにも割安なレンタル視聴が可能だ。

2007年2月にBitTorrentが開始した「BitTorrent Entertainment Network」。映画、テレビ番組、音楽など約1万の合法コンテンツを無償視聴またはダウンロード購入できる
 国内では9月に設立されたBitTorrent日本法人に対して、角川グループホールディングスが9億9000万円の出資を決めている。国内向けサービスも来年にはスタートする。「現在の日本市場でのP2Pに対する誤解は、2年前のアメリカにあったものと同じだ」(ナヴィン)と自信を見せる。コンテンツはDRMで保護されているうえに、サーバが持つコンテンツのハッシュ情報とダウンロードしたローカルPC上のコンテンツを照合するため、コンテンツが改ざんされたり、悪意のあるコードがP2Pネットワークに侵入することは考えづらい。

 違法コンテンツをダウンロードする若者の多くは、コンテンツに対する対価を支払うのを拒んでいるというよりも、P2Pネットワークに利便性を感じて、録画機器やレンタルショップ代わりに使っているといわれる。そうであれば、正規コンテンツを配布するサイトの利用者が、いずれ違法コンテンツサイトの利用者の数をしのぐようになることはあるだろう。そこにBitTorrentの成算がある。

 ナヴィンは、BitTorrentのアーキテクチャは日本市場でこそ生かされるという。なぜなら、日本ではFTTHなど広帯域ブロードバンドが普及していて、クライアント側のリソースが余っている反面、配信サーバ側の帯域当たりのコストやデータセンターのコストが高いからだ。

NASやルータ、STBにBitTorrentを統合

 同社が考えたもう1つの戦略はBitTorrentのSDK(開発キット)を配布してサードパーティ製のデバイスやソリューションでBitTorrentプロトコルの利用を拡大することだ。BitTorrentはCPUやメモリリソースをあまり消費しないコンパクトな実装「μ Torrent」(マイクロトレント)を持つ米マイクロトレント社を2006年末に買収しており、より広く組み込み市場に参入しようとしている。

プラネックスコミュニケーションズは2006年9月、BitTorrentを搭載した無線LANルーターを発売。現在、NAS製品への搭載も計画している
 すでに国内でも2006年9月にプラネックスコミュニケーションズがBitTorrentを搭載した無線LANルータを発売しているが、アイ・オー・データ機器やバッファローといった家庭向けPC周辺機器ベンダも、NASにBitTorrentを搭載することを考えている。「テラバイト単位の大容量を埋めるコンテンツをどうするかと頭をひねっている。BitTorrentを搭載すればコンテンツのダウンロードをNAS単体で行えるようになり、メディアサーバと連携してテレビで楽しめるようになる」(アイ・オー・データ機器 説明担当者)。現在、NASという名称で販売されている機器も、ISPが配るハードディスク入りのセットトップボックスとなれば、ビデオ・オン・デマンド市場は拡大するだろう。NASとルータが統合されていれば、NAT越えの問題もなく設定が容易だ。一般消費者にも受け入れやすいだろう。ISPやコンテンツホルダーから見れば、重装備の配信サーバやコンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)が不要で参入しやすい。実際、TVチューナーやセットトップボックス製品を手がけるコヴェンティブはBitTorrent対応のSTBを試作。関西でFTTHサービスを提供する関西電力グループのケイ・オプティコムが導入を計画しているという。

ハイマックスが開発した「F-Orc」(Fission Orchestra)。企業の拠点間通信にP2Pを適用した。映像ニュースの配信やeラーニングといったB2B市場への販売を目指すという
 B2B市場でもBitTorrentは注目されている。神奈川県・横浜市に本社を置くハイマックスは、企業の拠点間通信にP2Pを応用した「F-Orc」(Fission Orchestra)を開発。独自にBitTorrentプロトコルを実装し、現在映像ニュースの配信会社や企業内のeラーニングシステム市場への販売を進めている。法人ニーズをくみ取り、コンテンツの有効期限設定やVPN通信に対応。Webベースの配信管理コンソールや、ルータのポートフォワーディング設定を不要とする独自技術「NAT Traverse」も実装した。

 BitTorrentのP2Pネットワークは、既存のCDNと競合し、CDNを不要にする面もあるように思われる。しかし、この点についてBitTorrentは「CDNを補完し共存できるもの」(ナヴィン)と説明している。10月9日に同社が発表した「BitTorrent DNA」は従来の配信インフラとP2Pのハイブリッドを実現する技術だ。新たに拡張されたプロトコルではストリーミング配信にも対応した。10月23日にはCDN事業最大手のJストリームとの提携を発表。「コンテンツ配信にはID管理や課金システムまでが必要で、両者は共存していく」(Jストリーム 説明担当者)という。

情報流通革命の旗手として発言力を増すコーヘン

 米国でスタートしたBitTorrent Entertainment Networkで少し検索してみれば分かるが、まだメディア企業は“様子見”という感もぬぐえない。コンテンツ提供企業リストにはそうそうたるグローバル企業が名を連ねるが、最近のメジャーな映画の名前を入れても、なかなか出てこない。ダウンロードを北米ユーザーに限定したコンテンツも多い。「DVDの時代が終わるのは、もはや明らか。問題は終わるのかどうかではなく、いつ終わるかだ」というナヴィンの威勢のいい言葉とは裏腹に、コンテンツの取りそろえには、既存の流通システムへの影響を考えて及び腰になるメディア企業側の警戒感がにじむ。

 そうしたメディア業界の警戒感を先回りして察したかのように、著作権保護に対してBitTorrent社は敏感だ。DRMによる保護やセキュリティへの配慮を何度も繰り返して強調する。DRMという技術そのものに異を唱える過激な反対論者からは「屈した」と評されることもあるが、彼らはメディア企業に受け入れられる現実路線を選択したのだ。

 ただ興味深いのは、BitTorretの若い2人には、そうした現実主義路線と、本物のイノベーションへのパッションとが同居しているように見えることだ。多くの技術者がそうであるように、もともとコーヘンもナヴィンもDRMの反対論者として知られていた。

 コーヘンはDRMは過渡期の技術でWindows Media PlayerのDRMは頭痛の種だといい、ナヴィンは英ガーディアン誌のインタビューに応えて「次のステップはDRMフリーの世界だ」と言い切っている。DRMの代わりに、配信時に電子透かしの技術などでユーザー識別情報を入れ、誰が再配布したかが後から分かるような仕組みで海賊行為を抑制するようなアイデアがあるという。

 今ではおくびにも出さないことだが、BitTorrent社は2005年、中央管理サーバを不要とした“トラッカーレス”版のBitTorrentをリリースした過去がある。これは流通するコンテンツのインデックスとなるハッシュテーブルをP2Pの分散ネットワークで共有する仕組みを取り入れたもので、Winnyに近い技術だ。

 コーヘンは今年春に行われたカンファレンス、VON New Video Summitで講演し、既存のメディアや放送局は全部なくなり、最終的にはすべてIPに置き換わるのだという主張をして物議を醸した。IPとP2Pによる情報流通革命の旗手としての本音が抑えきれず漏れ出たのだろうが、メディア企業とパートナーシップを組もうという同社の戦略からすれば、あまりにも迂闊な発言だ。

 かといって、彼らが語る中長期なビジョンによって、現在のメディア企業とのパートナーシップが壊れるようなことは、これまでのところない。日本ではBitTorrentは知名度も低いのでピンと来ないが、コーヘンは米国ではすでにP2Pを象徴するアイコンとなり、大きな発言力を持てる地点にまで来ているのだろう。日本や米国において、向こう2、3年でBitTorrentが成功裏にP2P配信ビジネスを立ち上げることができるのかは見物だ。しかし本当の見物は、彼らが既存の枠組みから逸脱してイノベートしていくことになる、その先の未来にあるのではないだろうか。

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